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想像の幻想論

様々な思考の束

シン・シェアハウス

やっと安住の地を見つけた哲学徒です。生きてます。猫を飼いたいねーとか言ってましたが、結局飼えなかったのでやたら猫系の家具が多いシェアハウスとなりました。やっぱり賃貸は債権(人の人に対する権利)だからダメですね。いつかボロ小屋でもいいから購入して、物権(人の物に対する権利)を手に入れてムチャクチャやりたいですね。人間は悪い。

最近やっと分かりましたが、自分は一人暮らしは無理っぽいです。というのも、以前一人暮らし+ボッチを決めていたら普通に鬱病になったという実績があります。じゃあ外で友達作ればええやん、という人もいますが、高校を卒業したら、なんらかの人間関係固定装置(サークルなど)がないと友達は作れなくなります。SNSはそういう人間関係固定機能がないので、直ぐに知り合いに戻ってしまいます。

そこで、シェアハウスです。まあ、別に人間関係固定装置だったらシェアハウスじゃなくてもいいんですが、変にテニスとか料理とかしなくても生活をしているだけで友達になれるという利点はあります。それに、誰かが言ってましたが「シェアハウスは民主主義の学校」らしいです。民主主義というと大げさですが、他者との話し合いや意見のすり合わせなど基本的な人間との関係の結び方を学ぶことができるし、自分の身の回りの世話もしなければならないので、一人暮らしや結婚生活などに移行するにしても有利です。

話が脱線しました。という訳で、誰か京都駅近くの女性専用シェアハウスに住みませんかということでした。現在空き部屋が三つあります。私の他にもう一人住んでます。家賃は、約4万円です。猫は残念ながらいませんが、楽しくやっていきましょう。(プレステ4とか一緒にやりましょう)

水島広子『女子の人間関係』

著者はまず、女性と、社会的に傷つけられ貶められ続けそうならざるをえなかった「女」とを分ける。そして、その「女」は虐待やいじめなどにより傷つけられてきた人と特徴が共通すると述べる。「自分の意見と違う意見を持っている人を見ると「自分が否定された」と感じがち」「「自分の敵か味方か」を区別しがち」「自分の気持ちを率直に打ち明けることが苦手」「「自分の領域」と「他人の領域」の区別がつきにくい」をその特徴として挙げる。

しかし、「女」は生物的なメカニズムによってではなく、社会的なメカニズムによって作られるのだ。「伝統的に、そして未だに一般的な傾向として、女性は「男性から選ばれる性」」だと著者は主張する。そしてそのことにより、女性は「選ばれる」ことを中心に世界が回っている。

選ばれるということは「外見」重視になるということだ。「女性らしい細やかさ」は一見内面の問題に見えながら、実は「外的なもの」である。なぜなら、それはかなりの程度マニュアル化できるからである。男性がそれを求める限り女性にはそれを「演じる」という選択肢が存在する。

女が選ばれる性であるということは、選ばれる人がいれば選ばれなかった人が存在する。→「女の敵は女」 この問題の本質は、常に選ばれる性であることに由来する。女は絶対評価ではなく相対評価の世界の中にいる。よって、「女」は「相手にどう思われるか」というところに目がいく。

女性であるがゆえに何かを我慢した人は、その被害者意識から、我慢していない女性を「許さない」と感じることが多い。自分が「べき」で縛られている人は、他人のことも「べき」で縛りたがる。それは「正論」「一般論」の形になって我慢していない女性を縛ろうとする。

顔色が良く読めると、女性は褒められる。しかしそればかりしていると「それが誰の領域の問題なのか」ということが分からなくなる。「相手の顔色をよく読める、相手が必要としていることを察することができる、ということは、つまり相手の領域に立ち入って忖度しているということ」

他人の領域を平気で侵害する人は、そもそも「領域」という感覚が希薄だから、他人にも同じようなことを求める。「自分は表現しなくても、顔色を読んでほしい」もその現れ。言わなくても察してもらえることは女性にとってとても重要。察することが美徳とされる、「気がきく」と言われるのだから、それを相手に求めるのも不思議ではないし、察してもらえないことを「気にかけてもらってない」と感じるのも仕方がない。しかし、本来「自分の領域」の中のことが分かるのは自分だけ。

「女」の特徴とは、傷の症状のようなもの。さらに傷つけるのではなく、うまく避けて、できれば癒していくことが必要。「女」を見下したり、自分自身が「女」にならず、自立した自由な責任を持つ個人としてその人の、または自分の中の「女」を癒していくことが最終目標である。

どうですか、大変ですね(自分も女ですが)。まあ、「女」としてではなく自立した人間、個人、一個の人格として誠実に時には逃げつつその人と向き合えば良い方向に向かうのではないか、という話です。相手がこうされたいのではないか、社会に求められてるのではないか、ではなく自分がこうしたいからこうすると決断すると生きやすいとも。要は飄々と生きろということですかね。自分は子供を持つつもりはないので、あれなのですが、「子供を産んで専業主婦」「子供を産まないでバリキャリ」「子供を産んで兼業主婦」のどれもが、全て何かを諦めた選択肢になるというのは目から鱗でした(仕事で活躍したかった)(子供を産みたかった)(育児も仕事も中途半端と言われるのでは)。そんな選択肢も能動的に選ぶことで、肯定的に受け取れるようになれるというのは、ただの欺瞞だと思います。社会運動に向かいましょう。そして、子供を産んでも仕事が普通にできる社会にしていけば、女性が傷つけられた「女」にならない社会になれば、息がしやすくなるのではないかと思います。具体的には保育所やベビーシッターなど育児制度に金ドボしたり、女性の賃金を男性並みに上げたり、ベーシックインカムを子供に適用したり。高齢化社会だからこそ子は宝です。

書ける人ってすごい

デスネ。古代中世、もしくは現代でも文字を書けるところまでいくのは一握りの人間だけです。日本は識字率がとりわけ高い国なので、みんな話せて読めて書けるものだという幻想を抱いてますが、政情が安定しないなどの理由で普通教育ができてない国などはざらにあります。まあ、タイトルは文字を書けるのがすごいという意味ではありません。文章、筋道だった長くテンポが良く含蓄ある文章を書ける人がすごいということです。

長い文章を書ける人なんてそういません。図書館とか行くと恵まれた一握りの天才たちが書いた、長い長い優れた内容の本がドサドサあるので錯覚しがちですが。みなさん、学校の作文は好きでしたか?小論文は?レポートは?エントリーシートは?そういうことです。最近は長い文章を書けるだけで尊敬してしまいます。長い文章を書いてそれを出版ラインに乗っけるだけの名声も憧れますね。つまり単著書きたい。

みなさんのところはどうか分かりませんが、私の大学では「編著や論文集はクソ、とにかく単著読めやクソども」という教育を受けました。そして、ある程度それは正しかったと思います。編著だと誰の考えかよく分からなくなる、論文はパラ見するのにはいいが本腰入れるには短すぎる。短すぎる、というのはとりわけ問題です。レポートを書こうと思ったら、書きたいことの1/10も書けなかったということはありませんか?やはり、分厚く人を殺せそうな本ぐらいになると、自分の考えを網羅できて、自由に展開できるのです。そして、書くことにより著者の考えは体系立てられ、自己反省され、洗練されていくのです。まあ、だからといって聖書読むなとは言いません。(聖書は無料でもらえる対訳付きの薄いのではなく、旧約続編付きの分厚いやつhttps://www.amazon.co.jp/dp/4820212435 を買い、巻末の新訳から旧約への引照を引きながら読むことをオススメします)

単純に単著を書けるだけの人は、それだけ学界で影響力を持っているということであり、信頼できるというのもあります。新書なんかは結構若手が出したりでアレでしたが、最近は重鎮とも言える先生方も出すので侮れません。新書は新書で、一般教養の授業を一コマ受けるのと同じだけの効果はあると思いますが(実際、新書だと学生が買うからという理由で大学の文系の授業の教科書は大体新書です)、やはり分厚い本を腰を入れて読むのは確かな実力に繋がっていきます。では、何を読めばいいのか?まず、お近くのマンモス大学の生協にもぐります。気になる本を買います(買えない場合はスマホで表紙の写真を撮って後でamazon様で買います)。小説じゃない方がいいでしょう。それだけです。特に学期始まりだと、教科書として使われる本が積んであるので、適当にバイキングすればいいでしょう。もしくは教科書目録だけ貰ってくるとか。やはり、学界の最前線に立つ人たちが選んだ本を読むというのは大いに意義があることだと思います。

書く話だったのに、読む話になってしまいました。いえ、まあ、書くときも「もっと参考文献増やせ!」とか言われるので、結局どれだけ読んでどれだけまとめられたのかという問題になりがちなんですがね。特に文系ならまずは適当に新書を読んでれば、そのうち読むべき本が分かってくるのではないかと思われます。理系?おいしいんですか?それ。では、ここまで。

ぬいぐるみ

ぬいぐるみを買った。延々とモフモフしてれば割と辛さが紛れる。ちなみに成人済みです。

なんでぬいぐるみ買ったかといえばhttp://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/4654602.htmlhttps://twitter.com/manobun/status/829683629999534080 に影響されたからです。ペットより死なない分いいですね。死ぬと辛いから。

現代人は寂しさと辛さを抱えすぎていて、だから「けものフレンズ」みたいな「どんな人でもいていいんだよ」というアニメが流行るんだと思います。でも、家に帰っても一人、寂しい辛い、結婚するかってのには少し反対です。寂しいし辛いのであれば、ペットやぬいぐるみを買えばいいんです。お金もかからないし、結婚して寂しさが紛れなくても離婚は難しいですし。やはり、結婚は寂しいから誰でもいい、ではなく、好きな人、自分を大切にしてくれる人とするべきでしょう。

寂しいから誰でもいい、となれば、モラハラ気質の人間に捕まってしまう可能性があります。モラハラ気質の人間と付き合っても、寂しさは紛れないどころか精神的ダメージを蓄積されるだけです。ぬいぐるみです。ぬいぐるみを買って、寂しさを紛らわしてから、自分を大切にしてくれる好きな人をゆっくり探しましょう。ぬいぐるみはいいぞ。(買うときは包装してもらうなど、子供に買ってあげるようにカモフラージュするのが良さげです)

女子シェアハウスを作る意義について(原稿)

京大の男女比は約10:3です(http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/public/issue/ku_profile/documents/2016/12.pdfより)。吉田寮熊野寮は男女共用ですが、吉田寮はトイレも男女共用です。だから、京大周りにシェアハウスを作るとなると自然に男女比が偏ります。男性も入って大丈夫なシェアハウス、男性専用シェアハウスだとすぐに埋まります。では、なぜあえて女性専用シェアハウスを作るか。理由は簡単で、私が女性だからです。

シェアハウスをしていて一番面倒なのが、洗濯物の干し場所です。私は現在4人シェアハウスで住んでいて、2人は個室にベランダがついているんですが、残りの2人はそれぞれ別の下宿で干したり、コインランドリーを利用しているようです。この状況はかなり不均衡だと思うのですが、だったら男女同じ場所に干せばいいかといえばそれもなかなか。盗難事件とかになって泣き寝入りするのは常に女性ですし。じゃあ女性専用のシェアハウスだったら、干し場所同じでも大丈夫なのではという考えが出てきました。

それと、同性の友人が欲しいという思いもあります。高校は女性の方が多く、もちろん友達の殆どが女性でした。大学も文学部だったので大体男女同数だったんですが、鬱になり留年して、京大の人と関わるようになってから友達の殆どが男性になってしまいました。もちろんそれでもいいんですが、どうしてもホモソーシャル(ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー女性嫌悪)を基本的な特徴とする男性同士の擬似同性愛的な強い親愛・連帯関係)的な男同士のイチャつきからは疎外されているし、セクハラもあるし、どうしても深く馴染めない感じがあります。こうした抑圧自体を完全に無くすことは難しいと思いますが、その辛さの受け皿に女性専用シェアハウスがなれればと思っています。それに、女性でシェアハウスに来る人は、同性の社会にうまく適応できなかった人たちだと思うんですが、逆にそういう人たちばかりが集まればうまくいくのではないかと思います。

女性専用のシェアハウスは、同性との関係をやり直すことが出来るというメリットがあると思います。俗にメンヘラと呼ばれる精神的に不安定な人、特に女性には母との関係がうまくいかなかったから、同性との関係を諦めて異性とばかり付き合うという事例が多く見られます。しかし、メンヘラ女性に寄ってくる異性はメンヘラ女性の性別に惹かれて寄っているのであり、彼らと人間同士の対等な関係を結んでいくのは難しいのではないかと思います。それよりは、異性というアドバンテージがない同性と付き合っていくことが、人間としての自尊心や人間と人間の関係を結ぶことに慣れることができるのではないかと思います。それは、ひいては同性との関係性だけでなく、異性との関係性を安定的で対等なものにすることにも役立つのではないでしょうか。

鬱について(私のうつヌケ?) 追記しました

ADHD診断済みで副産物としての鬱に日々苦しめられている哲学徒です。朝に4つ、昼に2つ、夜に6つの薬を飲んでいますし、緊急用(というかだいぶ悪くなった時)の頓服のデパスも処方してもらってます。

気持ちが弱ったら休めばいいじゃないか、と気軽にいう人も居ますが、薬無しでは横になっていても気が休まらないのです。

とにかく何かをしなくちゃ、と気ばかりが焦るけど、文章を読めないほど集中力がなくなるので、一時期は一日中ツイッターばかりしては酒を飲んで疲れ果てては10時間ぐらい寝ることを繰り返していました。(酒を飲むと何かした気分になれたのです)また、起きている間ずっと身体中を虫が這っている感覚がして、寝たら身体に虫が這う夢を見ていました。気持ち悪いのでひたすら身体を掻きむしって、それでも痒いのでずっと掻きむしってじんましんのようになりました。当然学校にも行けないので、休学をしました。(心療内科のかかりつけ医に診断書を書いてもらいました)

それからは、唯一読めた村上春樹の短編を読んではウィスキーを飲んでアーアーなっていましたが、ひとまず実家に帰って一日中寝てました。薬のおかげで心と身体がやっとやっと休まった証拠です。

結局、鬱を抜け出すのに必要なのは、服薬と適切な人間関係(不適切な人間関係の渦中にいるならなんとかしてそこから逃げ出すこと)と休養(とにかく睡眠剤なり使い12時には寝ること)と手軽な趣味ぐらいでしょうか。特に服薬と睡眠が重要だと思います。代替治療は費用ばかりかかるしオススメしません。辛くなったらデパス、酷く辛くなったら睡眠剤を入れて寝る。酒は服薬できなくなるので、できれば絶ちましょう。 あと、病院に行く前に症状を細かくメモ帳なりに書いておいて主治医に見せるのもオススメです。お変わりありませんか?と聞かれてベラベラ喋れる人はそういません。

その後一人暮らしではどうにもならないので、シェアハウスに入り、人と関わるようになり始めて今に至ります。課題はあります。同性の友人が少ないことです。やはりどんなにアレでも異性は寄ってくるので。自分は同性が好きです。同性愛者ということもありますがそれ以前に、やはり同性と仲良くなってホモソホモソしたいです。異性だとどうしても、性的なアレを意識してしまう瞬間があるので。まあ男の自意識とかそういうのが嫌いというのもありますが。

で、女性限定のシェアハウスにつながる訳です。シェアハウスだと労力を払わなくても曖昧な友達になれますから。京都市内、左京区東山区あたりで作りたいと思います。一人暮らしでは飼えなかった猫も飼おうと思います。絶賛住民募集中なのでここのコメントからでも連絡ください。

田中圭一「うつヌケ」

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B01N9SHVRJ?storeType=ebooks手塚治虫宮崎駿など大御所の絵柄を真似たギャグ漫画を描いている、知る人ぞ知る田中圭一のエッセイ漫画。鬱状態から脱出した(脱出してない人も載っているが)人がどうやって鬱から脱したかが描いてある。田中圭一自身鬱の経験者で、鬱っぽくなる原因(気圧や気温差など人による)さえ分かれば比較的楽になれるというのはなるほど、と思った。 この本の最後のまとめ部分だけ抜き出しておこう。

○鬱になる原因

・自分を嫌いになる

→自分も他人のように大切に扱わなければならない。他人のように気を遣わなけれればいけない。

・子供の頃の苦しかった思い出を放置する

→自分と今一度よく向き合ってみて、子供の頃の自分を許してあげて解放してあげよう。

○鬱になってしまったら?

・仕事をやめろ派

・仕事を続けろ派(もちろん快方に向かうために)

→自分を否定するものが仕事であれば辞めて、自分を肯定してくれるものが仕事であれば続けよう

→自分を肯定してくれるものが身近になければ、小さな達成感を得られる何かを始めよう(例:プラモデル、登山)

→些細なことでもいいので必要とされている、役に立っていると感じられる瞬間を作ろう(例:褒められたことを何度も反芻する)

人間は本質的に自分が好きで、肯定されたくて、必要とされている→それに抗うと心が弱る

○鬱が再発するのはなぜ?

→鬱はなるものではなく、心が弱った時に、眠っていた鬱が出てくるだけ。

→鬱と上手に付き合おう!

その鬱の正体や鬱とのうまい付き合い方については、この本を読みましょう。鬱は誰もがなる「心のガン」です。鬱で自殺するのは病死と同じです。そうなる前に、まずお医者さんに相談+この本の購読ですね。