想像の幻想論

様々な思考の束

シェアハウスの問題点、その解決策

シェアハウスの問題点は大きく二つある。苦手な人がいても関わり続けなければならない(逃げられない)こと、そこを維持している住民を無視したフリーライドが横行することである。

 

苦手な人がいても関わり続けなければならないことは、主に住民間で起こる問題である。例えば、サークルとかでどうしても苦手な人間がいるとする。苦手な人が適切な距離を取ってくれるのであれば話は別であるが、そうでない場合もある。

 

サークルなら辞められる。しかし、シェアハウスはそもそも生活の拠点を共にしているのである。おいそれと辞めれない。関係はこじれる。政治が始まり、どちらかがどちらかに甚大な被害を与える追い出し合戦が幕を開く。

 

そこを維持している住民を無視したフリーライドが横行するのは、主にオープンシェアハウスで起こる問題である。頻繁にパーティーが開かれると、騒音、生活の場であるリビングが占拠される、散らかしっぱなしなど、住民の生活へ影響が起きる。

 

さらに、そこで住民が自治権をしっかり主張できないような状況があると、シェアハウスは生活の場たり得なくなり、住民への負担は恒久的となる。

 

住民が自治権を主張できないような状況は、例えばシェアハウスでよく見られる運営者システムなどにより引き起こされる。運営者システムとは、一定の運営費(家賃よりずっと低いことが多い)を払えば、そのシェアハウスの運営に携わられるシステムである。運営者が多ければ多いほど、住民の意見が通らなくなり、運営者(私はこれを準フリーライダーと呼んでいいように思う)の意見が蔓延ることになる。

 

運営費が家賃程度あり、住民が家賃を払わずに済むのであれば、家賃の代わりに運営者の尻拭いをするのも仕方がないのかもしれないが、多くのシェアハウスではそうなっていない。

 

オープンシェアハウスでなければ良いではないかと思われるかもしれないが、クローズシェアハウスでは最初の「苦手な人がいても関わり続けなければならない問題」がより浮き彫りになるだけである。

 

では、どうするべきか。

 

以前は、毎回レンタルスペースを借りて、そこでパーティーやイベントをして、終わったら片付けてそこに住まなければいいと考えていた。

 

しかし、それはそれを維持する基盤を想定しており、その維持する基盤はオープンシェアハウスなどを想定している。よって、これはシェアハウスの代替案として不適切である。

 

とすると、店という形態が一番いいのかもしれない。客が維持費を払い、他の客や店員と交流する。店員は店に住まない、もしくは閉めてから(客を出してから)自分の生活に戻る。

 

シェアハウスの問題点は実はもうひとつある。シェアハウスの活動と、普段の生活(ことに賃労働)が切り離されていることである。

 

店ならば、店の活動と賃労働が地続きであるから、どちらかが忙しくなるとどちらかがおろそかになることはない。

 

しょぼい起業や、各地のイベントバーエデンシステムなどについても知見を深めていくべきかもしれない。