想像の幻想論

様々な思考の束

卒論

ベネディクト・アンダーソンにおけるナショナリズム概念について

はじめに
 ベネディクト・アンダーソン(1936-2015)は、東南アジアをフィールドとする地域研究者である。未だに人々を熱狂させ、時にはそのために大量の人間が死を選ぶことさえ珍しくはない「ナショナリズム」という概念の探求がアンダーソンの主著である『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行―』の目的とするところである。おのおののイデオロギーが強く関わるナショナリズムという概念を扱うがゆえに、比較的誤読されやすいテーマの本ではあるが、アンダーソンの主著であるこの書を中心に、彼の考えたナショナリズム概念についてできるだけ中立的な立場からまとめたい。

Ⅰ 国民(nationality)の定義について
アンダーソンは、エリック・ホブズホームの「マルクス主義運動と国家は、形式的にも実質的にも、国民的つまりとなってきた」という言葉に同意するが、しかし、ことは社会主義世界だけにとどまらないとする。国際連合に加盟する国は毎年のようにあるし、かつて普通の国民であった「旧国民(オールド・ネーションズ)」はその国境内において、新たな政治的意識の芽生えであるサブ・ナショナリズム(地域の政治的意識が独立運動にまで発展したもの)との対決を迫られている。つまり、国家の数は年々増えてきているし、これからも増え続けるという見込みであり、(かつてマルクス主義者たちが高らかに宣言していた)「ナショナリズムの時代の終焉」など地平のかなたにさえ現れていない。
アンダーソンは、ナショナリズムマルクス主義理論にとって厄介な変則(anomaly)であり続け、それゆえ無視されることのほうが多かったと言う。マルクスの『共産党宣言』というインターナショナリズム的な色合いの濃い著作においてさえ、「おのおのの国のプロレタリア階級は、当然まず自分自身のブルジョワ階級を片づけねばならない」 とナショナリズム的な一文が見られる。なぜ世界階級であるブルジョワジーの国民的分割に理論的意義があるのか。
マルクス主義理論に包括されないナショナリズムという変則の、解釈の問題に取り掛かるにあたってアンダーソンは「」という概念の抱える三つのパラドクスを紹介し、さしあたっての定義を行う。
 第一のパラドクスは、「歴史家の客観的な目にはが近代的現象とみえるのに、ナショナリストの主観的な目にはそれが古い存在とみえるということ」
 第二のパラドクスは、「社会的文化現象としてのナショナリティ〔国民的帰属〕が形式的普遍性をもつ――だれもが男性または女性として特定の性に「帰属」しているように、現代社会ではだれもが特定のに「帰属」することができ、「帰属」すべきであり、また「帰属」することになる――のに対し、それが、具体的にはいつも、手の施しようのない固有さをもって現れ、そのため、定義上、たとえば「ギリシア」というナショナリティは、それ独自の存在となってしまうということ」 。すなわち、普遍的であるはずなのに、個別的なものだとみなされているということ。
 第三のパラドクスは、「ナショナリズムのもつあの「政治的」影響力の大きさに対し、それが哲学的には支離滅裂だということ」 つまり、それを的確に分析する理論に欠けるということ。
 アンダーソンはこれらのパラドクスを簡単にするために、とをイデオロギーだと考えるよりも親族、宗教と同類のものと見なしたほうがいいという提案をしている。そして、「国民とはイメージとして心に描かれたである」 という定義を与える。
 「国民は[イメージとして心の中に]想像されたものである」 、「国民は限られたものとして想像される」 、「国民は主権的なものとして想像される」 、「国民は一つの共同体として想像される」 。以上が国民の定義である。

Ⅱ ナショナリズムの文化的根源について
 アンダーソンは、ナショナリズムが死と不死に関わり、宗教的思考と親和性を持つとしている。そこにおいて、ナショナリズムは他のイデオロギーに分類されるものと一線を画す。マルクス主義をふくめすべての進化論、進歩主義的思考様式の大きな弱点は、宗教が担ってきた、病い、不具(身体的、精神的障害)、悲しみ、老い、そして死という人間の重荷に対し応答をなすという役割を担えないという点である。ナショナリズムが宗教的思考と親和性を持つのは、宗教的思考様式の衰退とナショナリズムの誕生とが、同じ一八世紀において起こったことによる(アンダーソンはナショナリズムが世俗化によって「生み出された」、宗教に「とってかわった」と言いたいわけではないと自ら念を押している)。
 これらのことから、ナショナリズムは他のイデオロギーとではなく、それに先行する文化システムである宗教共同体、王国と比較されねばならないと言う。
 アンダーソンによれば、イスラム世界、キリスト教世界、仏教世界、儒教世界(中国、つまり中華世界もアンダーソンはここに含めている)のような広大な宗教共同体でさえ、文字を媒体とすることによってはじめて想像可能であったのだ。聖典等に用いられたこうした言葉は、音ではなく記号によって共同体を創造した。この伝統は数学の世界ではいまだに保持されている。
 こうした共同体が近代国民の創造の共同体と決定的に異なる点は、その成員の選び方にある。この共同体は聖なる文字を知らない異郷の人間がその文字を習得した(ある種文明化された)とすれば、彼がどんな肌の色をしていようがこだわりなく喜びをもって受け入れたのである。
 聖なる言語の存在により成立が可能となった聖なる共同体は、しかし、聖なる言語を読むことができたわずかな文人と、膨大な文盲とで構成されていたのであり、聖なる文字だけでこの現象を説明することはできない。この現象にはさらに、その社会において文人は天上と地上との仲介人であったという世界観念の存在を考慮することによってのみ理解できる、とアンダーソンは述べる。.
 しかし、こうした聖なる共同体も、二つの理由によりその支配力を失う。一つは、非ヨーロッパ世界探査の結果であり、もう一つは聖なる言語それ自体が次第にその権威を失ったせいである。
 アンダーソンは、王国だけが唯一の政治システムであった世界を我々が想像するのは困難であると言う。なぜなら、「「まっとうな」君主制は、本質的に、政治生活についてのすべての近代的概念を否定している」 からである。王権の正当性は住民ではなく神に由来し、住民は市民ではなく臣民である。近代的概念において、国家権力は法により規定された領土の隅まで均等に作用するが、近代以前においては、主権は辺境に行くほどあいまいになり浸透しあってさえいた。そこから逆説的に、王国は多種多様な、領域的に隣り合っていない住民を包摂できたのだった。
 これらの王国は、戦争だけでなく、王族の結婚(王朝の結婚)により領土を広げることも可能であった。アンダーソンはハプスブルグ家をその例として挙げる。しかし、これらの王国の君主の正統性は一七世紀以後ゆっくりと衰退していった。
 アンダーソンは宗教の衰退により、世界理解の様式が変化したことが想像の共同体の成立を可能にしたと主張する。すなわち、次に詳しく述べるが、近代以後の、「均質で空虚な時間」の了解、つまり、時間的偶然によって特徴付けられ時計と暦によって計量することが可能になった時間の概念が国民の成立を可能にしたと言うのだ。

Ⅲ 小説と新聞
アンダーソンは、一八世紀ヨーロッパに誕生した小説と新聞という二つの想像の様式こそが、国民という想像の共同体の性質を「表示」する技術的手段を提供した、と言う。小説と新聞は、ベンヤミンの言葉を借りるならば「均質で空虚な時間」という新しい同時性の観念、つまり、近代以前の、神によって行われる予兆やその成就を結びつける同時性(ベンヤミンが言う「メシア的時間」)の観念ではなく、時計や暦によって計られる時間上の偶然を結びつける同時性の概念を作り出した。小説における「社会的有機体が均質で空虚な時間のなかを暦に従って移動していくという観念は、国民の観念とまったくよく似ている。国民もまた着々と歴史を下降し(あるいは上昇し)動いていく堅固な共同体と観念される。」 また、本の一形態としての新聞は、それぞれ独立の出来事であるはずの事件が日付という暦の上の偶然によって結び付けられ羅列される。それにより、ゆるぎなく進行する「世界」(しかもその登場人物である共同体は急に滅びたりだとかはしない)の想像を可能にした。くわえて、新聞という出版物の特性は、途方もない規模で発売されるが次の日には古紙になってしまうというものだが、その故に、人々は新聞を全く同時に消費するようになった。ヘーゲルはこれを「近代人には新聞が朝の礼拝代わりになった」と表現しているが、彼らは新聞を読んでいる間、その読者である他の国民の存在を確信してはいるが、それがどんな人々であるかについては全く知らない。「ひとりのアメリカ人は、二億四千万余のアメリカ人同胞のうち、ほんの一握りの人以外、一生のうちで会うことも、名前を知ることもないだろう。まして彼には、あるとき、かれらが一体何をしようとしているのか、そんなことは知るよしもない。しかし、それでいて、彼は、アメリカ人のゆるぎない、匿名の、同時的な活動についてまったく確信している」 、といったしかたで想像される共同体を想像可能にしたのだ。


Ⅳ 出版資本主義(プリント・キャピタリズム
アンダーソンは商品としての出版物の発展、出版資本主義が、国民という想像の共同体の成立に極めて重要な役割を果たしたと主張する。しかし、出版資本主義が台頭するための条件として、僧侶や王族や知識人層以外にも広く開かれた出版語という概念が必要だ。アンダーソンはまず、その出版語の概念について、歴史的な系譜から見ていく。
初期の出版物の市場は、ラテン語を読める文人たちという薄い層に限られていて、この市場の飽和には一五〇年かかったと言う。ラテン語を読めるというのは、ラテン語話し言葉としては死んだ言葉であったので、俗語(ドイツ語、英語など)とラテン語を使いこなすことができる二言語を使いこなすことができる知識人であることを意味する。
ラテン語出版物市場の飽和、また、当時のヨーロッパ全域における貨幣不足が、印刷業者を俗語で書かれた廉価な出版物の出版へと駆り立てた。
俗語化を推し進めた出版資本主義は、三つの外的要因によってますますその勢いを増していった。
第一の要因は、文芸復興(ルネサンス)である。人文主義者(ユマニスト)の古典古代へ立ち返ろうとする努力は、教会ラテン語ではなくキケロのラテン散文を模範とし始め、ラテン語は書かれていること自体が秘儀的であったのが、書かれている内容によって秘儀的となった(もっとも、この要因は国民意識の出現にあまり与しなかったとアンダーソンは述べる)。
 第二の要因は、宗教改革である。一五一七年、ルターが九十五か条の提題を打ち付けたあと、この提題はただちにドイツ語訳され十五日以内に国中いたるところで目にとまるようになった、ルターは名の通った最初のベストセラー作家となった 。
その後の宗教戦争(アンダーソンは宗教プロパガンダ戦争と表現している。出版による言論の戦争、人心の掌握、信徒の獲得という一連の動きを表現したかったのだろうと思われる)において、プロテスタンティズムは基本的にいつも攻勢の側、出版する側であったのに対し、カトリックは常に出版活動を禁止してラテン語を守る側であった。それを象徴するのが『禁書目録』である。
プロテスタンティズムと出版資本主義の連合、さらに廉価普及版(俗語で書かれた)の広まりは、ラテン語を知らない、商人、女性等の新たな読者層を開拓し、彼らをその運動の渦中へ巻き込んでいった。
第三の要因は、中央集権化を推し進める絶対君主らが、行政語として俗語を採用したことである。ラテン語はその普遍性の絶頂である中世においても、どの国の国家語にもなることができなかった。中華帝国において、文人官僚制と漢字の到達範囲が一致していたこととは対照的である。ラテン語の宗教的権威は、政治的対応物(国家)を持たなかった。ここで注意せねばならないのは、「この俗語化の過程には、なんらかの根深いイデオロギー的衝動、ましてプロト・ナショナルな衝動など、まったく伏在していなかった」 ことである。
 出版語および出版資本主義は、三つの方法で国民意識の基礎を作った。
 第一に、「出版語が、ラテン語の下位、口語俗語の上位に、交換とコミュニケーションの統一的な場を創造したこと」。普遍的に大多数である一言語話者にとって、ラテン語は基本的に無縁のことばであり、口語俗語で話すことがほとんどであるが、口語は無数に存在し、コミュニケーションに不都合が生じることもしばしばであった。だが、出版物に印刷してある言葉は、数十万、数百万の人々が(あるいは、だけが)そこに参加できる言葉の場を読者に意識させるようになっていった。
 第二に、「出版資本主義は、言語に新しい固定性を付与した」。これが、主観的な国民の観念において重要な古さのイメージを作り出した。フェーブルとマルタンが指摘するように、印刷本は永続的形態をもち、時間的空間的に、無限に複製可能である。印刷本においては、時勢に合わせる写字生の手から免れることができるようになった。
 第三に、「出版資本主義は、旧来の行政俗語とは別種の権力の言葉を創造した」。出版語の登場により、いくつかの方言がそれにより近く価値があるものとされ価値を高めた一方で、その他の方言は社会的地位を失っていった。

Ⅴ クレオールナショナリズムの先駆者
 一八世紀後半、一九世紀初頭の新興アメリカ諸国家は、ヨーロッパのナショナリズムから見ると興味深い点が二つあるとアンダーソンは言う。
 一つは、ブラジル、アメリカ、スペイン元植民地のいずれも宗主国であるイギリスと言語を同じくしていたという点である。
 もう一つは、ネアンの次のテーゼの前提を覆すような現象が実際に起こったという点である。

明瞭に近代的な意味でのナショナリズムの到来は、下層階級の政治的洗礼と結びついていた。・・・・・・たとえときに、民主主義に敵対的になることがあったにせよ、国民主義運動は、その見解においてきまってであり、下層階級を政治生活に導入しようと試みた。最も典型的な場合には、それは、中産階級と知識人のおちつきのない指導の下に、民衆の階級的エネルギーを新国家支持へと動員し誘導するという形態をとった。

しかし、少なくとも南アメリカと中央アメリカにおいては、独立運動は上流階級(大地主、商人、専門的職業者、法律家、軍人、地方・州の役人)が掌握していた。また、下層階級(インディオ、黒人)を運動に動員するどころか、ベネズエラ、メキシコ、ペルーなどの場合、マドリードからの独立を促した当初の要因は、下層階級の反乱を恐れてのことであった。だが、「それでも、これらの運動は国民的独立運動であった」 。ボリーバル、サン・マルティンら解放者たちは下層階級を市民として受け入れるべきだと宣言した(下層階級は文盲がほとんどであり、出版資本主義が到達していなかったにも関わらずである)。
 ここに謎がある。クレオール(人種を問わず植民地で生まれた者)の共同体が、なぜヨーロッパよりも早くナショナリズムを獲得し、さらにスペイン・アメリカ帝国を急速に分裂させるまでに至ったか、という謎である。
 説明として最も挙げられるのは、一八世紀後半におけるマドリードの支配強化と、自由主義的解放思想の普及である。また、大西洋横断が容易になったことと、南北アメリカが西欧の宗主国と言語を同じくしていたことであり、これは西欧の新しい政治思想が容易に伝播されることを意味する。
 しかし、これだけではナショナリズム誕生の説明にはならない。これを説明するためには「南アメリカの新生共和国が、かつてはそれぞれ、一六世紀から一八世紀にかけて行政上の単位であった」 という事実に着目しなければならないとアンダーソンは言う。
だが、行政単位はそれ自体としては住民の愛着を生まない。問題であるのは、ある行政単位がいかにして、そのために人々が自ら犠牲になるような単位(祖国)に変化するかである。行政単位がいかにして祖国に変化するかを理解するには、行政組織がいかにして意味を創造するかについて見なければならない、とアンダーソンは言う。
 アンダーソンは、「出版時代以前には、想像の宗教共同体の現実性は、なににもまして、無数の、やむことのない旅に深く依存していた」 、と主張する。しかし、出版資本主義以後も、世俗的な巡礼の旅が共同体の形成に与したとも同時に述べる。
そこにおいて、重要な旅とは、分権的な地方の封建貴族の、貴族の相続人が中心へ旅をしてその貴族の死後、相続のために故郷に戻る旅ではない。絶対主義王制に始まった、統一的権力装置(ここにおける統一とは、人間と文書それぞれの互換性を示しているとアンダーソンは言う)を作り上げるというプロジェクトにより生じた、役人の旅である。絶対主義における役人は、その生まれではなく、才能により判断され、昇進し派遣される。彼らにおいては、どこにも最終的な目的地や安息の地、封建貴族における故郷のような場所はなく、ただただ地位の向上と栄転にのみ腐心する。アンダーソンはこれを、封建貴族の直線的な中心への旅と対比して、絶対主義における役人の上昇らせんの旅と表現している。彼らは、その旅の過程において、偶然任地を同じくする同僚と巡り合う。そして、単一の国家語を彼らと共有して行動を共にするうちに、相互連結の意識が芽生えるとアンダーソンは言う。こうした、人的互換性を支える文書の互換性は、標準化された国家語の発達が促した。
だが、その巡礼の旅は縦方向(地位)だけでなく、横方向(場所)にも締め出されていた。つまり、この官僚制は言語を同じくする(つまり人間と文書の互換性がある)新旧両大陸にまたがって拡大することはなかった。そこにおいては、才能よりも出生による差別が優先された。それは、クレオールが自己の権利を主張する政治的、文化的、軍事的手段をもっていたからであり、本国の人間にとって経済的に重要な存在であると同時に脅威的な存在となりうるからであり、啓蒙主義も本国人とクレオール(植民地人)との差別を推奨したからであった。しかし、その出生地における差別も、ほかのどこでもない南北アメリカにおいて生まれてしまったという共通の運命をクレオールに想起させ、新たな共同体の誕生に寄与したのではないかとアンダーソンは分析する。しかし、出版資本主義以前においては、役人という限られた世界での旅はなんら決定的帰結を生み出さなかった。クレオール役人の旅に加えて、アメリカの印刷業者がその収入源の確保のために始めた地方紙が、ナショナリズムの誕生に関して重要な役割を演じたのだとアンダーソンは主張する。

Ⅵ 言語と民族にもとづくナショナリズム
 アメリカ大陸における国民解放運動のあとに生まれた、ヨーロッパにおける「新しい」ナショナリズムには、アメリカのクレオールナショナリズムと異なる点が二つある。一つは、「」がイデオロギー的、政治的に中心的な役割を担ったということである。もう一つは、これら新しいナショナリズムがすべて遠くの、フランス革命以後はもっと近くの例をモデルにすることができたという点である。「こうして「国民」は、徐々にはっきりしていく視野のというより、はじめから意識的に達成すべき対象となった」
 ヨーロッパの外の事実を無視して、ヨハン・ゴット・フォン・ヘルダーはこう宣言した。「あらゆるはであり、それ自身の国民的性格とそれ自身の言語をもつ」Kemiläinen (1964,アンダーソン (2007)の引用による)。
 この国民の概念は、ヨーロッパ全体に広まり、ナショナリズムの性格付けに関する後年の理論に影響を与えた。
 こうした深刻なヨーロッパ世界の時間的・空間的縮小は、一四世紀ルネサンスによる古典世界の発見と、逆説的だが、後のヨーロッパの全地球的支配によってもたらされた、とアンダーソンは言う。ヨーロッパの帝国主義によるアジア、アメリカ支配とそれによるこれらの文明の発見は、「人間」の既知の歴史(ヨーロッパ、キリスト教世界、古典古代)とは全く別個に発展したものであると「人間」に認めさせざるをえないものであった。そうした現地の人々をも収容できるのはただ均質で空虚な時間だけだった。
 発見と征服は、言語についてのヨーロッパ的観念にも革命を引き起こすことになる。諸言語の科学的な比較研究が本格的に始まったのは一八世紀後半になってからであった。イギリスのベンガル征服とそれに伴うサンスクリット語研究、ナポレオンのエジプト遠征によるエジプト象形文字の解読、セム語の研究の進展は、ヨーロッパの外の古代を複数化した。
 これ以降、聖なる言語(ラテン語ギリシア語、ヘブライ語)は、俗語と同等の地位に降格し、これが出版資本主義によりすでに始まっていた聖なる言語の降格を完成させた。
 シートンワトソンが示すように、一九世紀はヨーロッパとその周辺地域において、俗語の辞書編纂者、文法学者、言語学者、文学者の黄金時代であった。彼らの活躍は、一九世紀ヨーロッパのナショナリズムの形成の中心的役割を果たした。二言語辞典は、政治的現実はどうあれ、一対の言語が共通の地位を持つことを表していた。彼らは、特に大学図書館に引き寄せられ、彼らの顧客もまた大学・高校の学生たちであった。一九世紀ヨーロッパにおいては、ホブズホームの「学校と特に大学がナショナリズムの最も自覚的な戦士となるにつれ、学校と大学の進歩がナショナリズム進歩の物差しとなる」というテーゼは妥当であったとアンダーソンは言う。
 よって、この辞書編纂革命の軌跡は、やがて第一次世界大戦へと至る道だと言えると、アンダーソンは言う。
 ブルジョワジーの勃興以前の時代において、支配階級はその正統性を言語、出版語の外で生み出していた。支配階級の連帯は想像によってではなく、具体的な親族関係、庇護関係、人格的忠誠が生み出すものであった。しかし、ブルジョワジーは、そのような具体的な紐帯というものではなく、想像を母体として連帯を達成したのだった。文盲のブルジョワジーなど想像もつかない、とアンダーソンは言う。ブルジョワジーは言語(俗語、出版語)により結びついた世界史上最初の階級であったのだ。一九世紀末のヨーロッパにおいて、この連帯は俗語が通用する範囲の限界に達していた。
 ネアンの「ナショナリズムを唱道する新しい中産階級インテリゲンチアは、大衆を歴史に招じ入れねばならなかった。そしてその招待状はかれらの理解する言語で書かれねばならなかった」」Nairn (1977,アンダーソン (2007)の引用による)という定式はある程度まで妥当する、とアンダーソンは主張する。しかし、なぜそれがある程度でも妥当するのかについては海賊行為 について見ていかねばならない。
 フランス革命がひとたび起こると、その事件の連鎖は出版され、それによりひとつの「概念」となり、やがて一つのモデルとなった。
 それと同様に南北アメリカ独立運動も、出版により概念化され、モデル化され、ブループリントとなった。「ブループリントの妥当性と一般化の可能性は、独立国家が複数存在することにより疑う余地なく確証されたのである」
 南北アメリカ独立運動の混乱の中からは、後に「概念」、「モデル」、「ブループリント」となる(国民国家、共和制、公民権人民主権、国旗、国歌、それと対立する概念は、王朝帝国、君主制、絶対主義、臣民身分、世襲貴族、農奴制、ユダヤ人街などである)が生じた。
このようにして、一八一〇年代には独立国民国家のモデルが海賊版製作のために利用可能になっていた、とアンダーソンは言う。しかし、それ以後、そのモデルから逸脱することはもはや許されなかった。
Ⅵ 公定ナショナリズム帝国主義
公定ナショナリズムとは、シートンワトソンが提唱した概念で、「国民と王朝帝国の意図的(この意図とは支配者の意図である)合同」である。「公定ナショナリズムは、共同体が国民的に想像されるようになるにしたがって、その周辺においやられるか、そこから排除されるかの脅威に直面した支配集団が、予防措置として採用する戦略なのだ」。 公定ナショナリズムの政策手段は、国家統制下の初等義務教育、国家の組織する宣伝活動、国史の編纂、軍国主義などである。
 シートンワトソンが「公定ナショナリズム」と呼ぶものは、一九世紀半ばごろからヨーロッパにおいて発展した。その典型的な例は帝制ロシア化である。帝制ロシアは、一八八七年、国語をすべての国民学校において最低学年から授業の言語として使うよう義務付け、一八九三年に、講義をドイツ語で行っていたドルパット大学を閉鎖させた。シートンワトソンは、ロシア革命は、労働者や農民たちによる知識人に対する革命というだけでなく、非ロシア人のロシア化に対する革命でもあったとさえ言う。このナショナリズムは、民衆の言語ナショナリズムの登場までは歴史的にあり得ないことであった。つまり、それは一八二〇年代以来、ヨーロッパで増殖した国民主義運動の反動として生まれたのだった。公定ナショナリズムは、民衆の想像の共同体から本来排斥されるべきである権力集団による応戦だったからである。また、公定ナショナリズムは、ヨーロッパとレヴァント(東部地中海付近の諸島および沿岸諸国)に限られていたわけでなく、一九世紀半ばにそれらの国の植民地とされたアジア、アフリカにおいても実施された。最後に、公定ナショナリズムは、ヨーロッパからの支配を逃れた(日本、シャムなど)ごく一部の地域で、その国の支配集団により採用され模倣された。
 しかし、公定ナショナリズムにおいて広められた帝国主義は、結局はつねに「装い」「手品」「芝居」であり、植民地の喪失をいつまでも哀悼するのは常に支配者階級だけであった。
Ⅶ 最後の波
 この章の表題になっている最後の波とは、産業資本主義によって初めて可能となった新しい地球的帝国主義に対する反応として、アジア、アフリカなどの植民地に押し寄せたナショナリズムの波のことを指す。マルクスは、その地球帝国主義のことをこう表現する。「自己の生産物に対してたえず販路を広げればならない必要は、ブルジョワジーを駆って全地球をかけまわらせる」。
 他方、資本主義はまた出版資本主義という形で、ヨーロッパにおいては俗語による民衆的ナショナリズムの創造に一役買い、この民衆的ナショナリズムは、王朝原理を掘り崩し、王朝を国民へ帰化するよう駆り立ててもいった。公定ナショナリズムは、「ロシア化」とでも呼ぶべきものを、ヨーロッパ外の植民地にもたらした。このイデオロギーは、一九世紀末の広がりすぎた帝国という現実にも適合していた。帝国は、少数のによって統治されるにはあまりにも広大で、世界各地に散らばりすぎていた。加えて、資本主義と同様に、国家はその機能を本国と植民地の両方において増加させていった。行政機能の増殖という要請により、「ロシア化」学校制度が整備された。中央集権的、標準的なこの学校制度は、新たな巡礼の旅を生み出した。その終着点は、典型的には、各植民地の首都であった。宗主国である帝国の中心の国民が、それ以上の出世をゆるさなかったからである。教育の旅は、行政の旅と並行していた。これらの巡礼の旅の組み合わせが新しい「想像の共同体」に領土的な基盤を与え、その共同体の中で植民以前からそこで暮らしていたは、自分たちをとみなすことが可能となったのである。

Ⅷ 愛国心と人種主義
 「ナショナリズムのほとんど病理的ともいえる性格、すなわち、ナショナリズムが他者への恐怖と憎悪に根ざしており、人種主義とあい通ずる」 という進歩的、コスモポリタン的知識人の見解を、アンダーソンは退ける。アンダーソンはナショナリズムは自己犠牲的な愛を呼び起こす、ということを、ナショナリズムの文化的遺産(詩、小説、音楽、造形美術)から引き出す。そして、それら文化的遺産からナショナリズム的な愛に相当する、恐怖と嫌悪を見出すことはまれだと言う。
 ナショナリズムにおける愛についての性質を探るためにアンダーソンは、言語がその愛の対象をどう表現しているか見る。それは二つに分けられる。親族の語彙(祖国、マザーランド(母国)、ファーターランド(父国)、パトリア(父国)、さもなくば、の語彙(くに、ふるさと、マイハート(ふるさと)、タナ・アイル(ふるさとなる島々))などでそれは表現される。これらの語はいずれも自然と人間との結びつきを表している。自然には選択不可能性という性質があるため、自然と人間の絆には「ゲマインシャフトの美」とでも言うべき、無私無欲の美がある。また、選択不可能である故、は、皮膚の色、性、生まれ、生まれた時代など、人がどうにもしがたいすべてのものと同一視される。
 自分が選んだものではない国のために死ぬということは、他の選択可能な、脱退可能な組織のために死ぬことでは太刀打ちできない、道徳的崇高さを帯びる、とアンダーソンは主張する。
 このことを理解するために、アンダーソンは、言語に立ち返る。言語は、第一に、いかなる言語もその誕生日を知ることはできない、という原初性をもつ。そこには均質で空虚な時間を超越する、同時性が感じられる。
第二に、言語は特に詩歌の形式において示しうる同時存在を感じられる共同性がある。例えば、国歌の斉唱には、同時性のイメージが込められている。「我々すべてを結びつけているのは、想像の音だけなのだ」
しかし、この斉唱には、新しく参加することも許される。国民が宿命的なものだとしても、それは歴史に埋め込まれた宿命である。今日では、いかに偏狭な国であろうとも帰化ナチュラライゼーション〉〔自然化〕すれば国民に参加できるという原則を、それが現実にどれだけ難しかろうと、原則としては受け入れているのだ。
ネアンは言う。「人種主義と反ユダヤ主義ナショナリズムから派生したものであり、それ故、「十分な歴史の奥行きをもってみれば、ファシズムナショナリズムについて、他のいかなるエピソードよりももっと多くのことを物語ってくれる」」とNairn (1977,pp.337 and pp.347アンダーソン (2007)の引用による)。
しかし、アンダーソンは、これを否定する。ナショナリズムは歴史的(血縁的ではない)運命にある言語で考えるのに対し、人種主義は歴史の外に普遍的に存在したと主張するのだ。
アンダーソンは、「愛にはいつも、どこかたわいのない想像力がはたらいている」 と述べるが、ここでの意味は、その愛がナショナリズムであるとき、その愛着の対象(その範囲)が想像されたものであるということを指す。

Ⅸ 歴史の天使
 アンダーソンは、革命とナショナリズムを「双子の概念」だとする。つまり、革命と同時にナショナリズムは生み出されるということである。このナショナリズムは、公定ナショナリズムである。なぜなら、革命が成功するためには、結局「革命を計画し」「国民を想像する」ことが必要だからである。この国民を想像する主体は革命家であり、彼らが指導部の地位に就いた際に、そのイメージは現実に権力を持ち、公定ナショナリズムとなる。そして、そのモデルは国家運営に妥当なものである。
革命家が国家権力を掌握した際には常に「旧国家の配線」(ときに役人、情報提供者を含む、ファイル、関係書類、公文書、法律、財務記録、人口統計、地図、条約、通信、覚書その他の遺物)を相続し、使用しているとアンダーソンは指摘する。革命家は国家を破壊するのではなく、それを相続するのだ。
 革命とナショナリズムの結びつきは、当然ヴェトナム社会主義共和国、民主カンプチア中華人民共和国にも適応される。我々は「マルクス主義者それ自体はナショナリストではない」、「ナショナリズムは近代発展史の病理である」といった偏見を捨て、ナショナリズムに向き合い、ナショナリズム国家間の戦争を制限し予防すべきだとアンダーソンは言う。

まとめ
 ナショナリズムは、おのおののイデオロギーが非常に強く出る概念であるため、この書は非常に誤解されてきたことは先に述べた。新倉も「ベネディクト・アンダーソンの提起した「想像の共同体」は、しばしば現実の共同体とは異なる、虚構の共同体であると誤読され、その構築性を批判するものとしてひろく援用されてきた」 と述べている。そのことについては新倉(2016)が非常に優れた論駁を加えているのでここで紙幅を割くことはないが、私がナショナリズム概念について興味を持ったのはこの「哲学的に貧困」さゆえであった。誰もがその力を認めざるを得ない概念であるのに、どんなにラディカルに見える学者でもその存在を認めたがらず、それについて意見を求められた場合においては誰もが判を押したように「忌むべきもの」「いつか克服されねばならぬもの」と短く答える。もしくは、ただただ感情的に否定する。ナショナリストと呼ばれる人たちでさえ、ナショナリズム概念それ自体について体系的に論じるということは非常にまれである。ナショナリズム研究の大家といえば、すぐに何名か挙げられる学生がどれだけいるであろうか。ことは日本にとどまらない。アンダーソン自身も「ナショナリズムは、他のイズム〔主義〕とは違って、そのホッブズも、トクヴィルも、マルクスも、ヴェーバーも、いかなる大思想家も生み出さなかった」 と述べている。この書は、イギリスにおけるナショナリズムについての論争を背景にもっているし 、この書が新たな論争を生んでもいるから、ナショナリズムという概念自体は決して真空から生まれた訳ではない。だが、他の学問分野と比べてもその研究の絶対量がかなり少ないのではないかと思われる。今後はアンダーソンを中心として、他のナショナリズム研究者についても他の学問分野のようにできるだけ中立的に客観的にまとめることができればと思う。

参考文献
ベネディクト・アンダーソン著、白石隆・白石さや訳、書籍工房早川(2007)『定本 想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』
ベネディクト・アンダーソン著、加藤剛訳、NTT出版(2009)『ヤシガラ椀の外へ』
ベネディクト・アンダーソン著、加藤剛訳(2011)「国家の見えざる敵―社会的実践としての海賊」、栗原一樹編、青土社、『現代思想』、第39巻、第10号
ベネディクト・アンダーソン著、山本信人・新倉貴仁訳(2016)「インドネシアナショナリズム、その現在と未来」、吉川哲士編、岩波書店、『思想』、第8号(第1108号)
ベネディクト・アンダーソン口述、小川伸彦・水垣源太郎編、かもがわ出版(2014)『ベネディクト・アンダーソン 奈良女子大学講義』
ベネディクト・アンダーソン口述(2001)「記憶と忘却―インドネシアと台湾のナショナリズム」、渡辺英之編『京都精華大学紀要』、第21号
ベネディクト・アンダーソン口述、加藤剛訳、Otsu : Afrasian Centre for Peace and Development Studies, Ryukoku University , 2007(2007)、『Useful or useless relics : today's strange monarchies =有用な遺制か無用な遺物か? : 現代における君主制という不思議な存在』Working paper series ; No. 32

マルクスエンゲルス大内兵衛・向坂逸朗訳、岩波書店(1951)『共産党宣言
・新倉貴仁(2016)「「想像の共同体」を越えて――ベネディクト・アンダーソンナショナリズム論をめぐって――」、吉川哲士編、岩波書店、『思想』、第8号、1108号
・山本信人(2016)「柔軟な比較の思考と自由な表現――アンダーソンの東南アジア地域研究――」吉川哲士編、岩波書店、『思想』、第8号、1108号
白石隆(1999)「ベネディクト・アンダーソン」、新書館、『大航海』第28号
・白石さや(2008)「どこから?どこへ?――遍路札所を結ぶアジア・太平洋の高等教育ネットワーク」、アジア政経学会、『アジア研究』第54巻8号