インターネットには客観がない
インターネットには客観がない。あるのは主観だけだ。
インターネットに居ると、「主観」ばかりの人が多い。公道で社会の窓を全開にして歩く人ばかりだ。
「社会の窓、開いてますよ」と女性に注意されれば「フェミw」「お気持ち表明w」と茶化し、男性に注意されると「失礼しました」と直す。
インターネットを使う男性は年々その場の文化に冒され、社会性を無くしているのではないか?
私がこう考えたのは宇崎ちゃん騒動よりもずっと前、2ちゃんねるの頃からである。
2ちゃんねるは昔から女叩き、在日叩き、中韓国叩きの文化が根強い。私の兄弟はそういう文化にどっぷり浸かってしまい、リビングでも女叩きをしていた。母がいてもそれは変わらなかった。
2ちゃんねるはもちろん社会の公器などではない。社会の意見をそのまま反映していない。かなり歪んだ鏡なのだ。
反省(reflection)は、欧米の価値観からすれば「反射」の意味である。主観と他者から見た客観だけでなく、鏡に映したときのように自分を他者のように見ること。これができていない人がインターネットに多い。
風呂に入れと言われただけで怒るおじさん、小学校の運動会にオリジナルのエロTシャツを着ていったおじさん、現実の女児に対する性的加害欲求を公開アカウントで発露するおじさん...
ペニスをしまおうと言っているだけなのに、「去勢しろと言うのか」と大騒ぎされているかのようだ。
自分の姿を自分で見直すことは、人から見られるのを気にすることより重要だ。つまり、自分から見直されても「恥ずかしい」「こんな人が周りにいたら切るわ」とならないような自分。
自己肯定感というのは主観から生まれるのではなく、自分を他者のように見て「まあまあいいのではないか」と思えることではないかと思う。そのときには自分を長期的な目で見直すことも必要だろう。
※今回のタイトルは本来「インターネットには反省がない」とすべきだが、日本語の意味で取られてしまうことを危惧して「インターネットには客観がない」としました。reflectionの意味での反省についてもっと知りたい人は「反省意識」とか「哲学 反省」とかでググッてみてください。