想像の幻想論

様々な思考の束

要約 E・ルナン他『国民とは何か』1

 ‪国民とは何か インスクリプト https://www.amazon.co.jp/dp/4309901867/ref=cm_sw_r_tw_awdb_x_.jZNybPYWYYPB

 

基本的にこの本はナショナリズムについて重要な論文だったり、講演だったりの寄せ集めなので、作者はバラバラで体系的に見通すことは無理です。まあフィヒテとかだと哲学者としても有名だから違うんだろうけど、彼のナショナリズム的な著作はこの本に載ってるやつぐらいしかないので。基本的にナショナリズムについては翻訳も研究も進んでないです。だからこそナショナリズム学会を立ち上げたい訳ですけど。まあこれぐらい読んどけば教養としてのナショナリズムは身につくのでは。知らんけど。

 

 ルナン「国民とは何か」について。国民とは魂であり、精神的原理である。魂とは豊かな記憶の遺産の共有であり、精神的原理とは現在を共に生きようとする願望であり、遺産を運用し続ける意志である。(したがって負の遺産は忘却されねばならない)という感じ。

 

J・ロラン『二つの国民概念』について。ルナンの『国民とは何か』というテキストは、一見すると主体的に意志する国民について論じているが、実は受動的に忘却させられる国民ということも同時に書いており、ロランは後者がむしろルナンの本質であると主張する。

 

 さて、ここでバリバールやらフィヒテを読もうとしたのですが、バリバールはフィヒテ解釈なのでフィヒテ読まないとダメだし、フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」は全編そのまま収録していないので(一部は公演の要約だけ載せている)、これは別に買ったほうがいいなとなりました。だから1という訳です。早く読め。

 皆さんお気付きのことと思いますが、このブログでは書評ではなく基本的に軽い要約を載せていこうと思います。ナショナリズムは特に反感を買う領域で、皆さん感情的にエビデンス主義を放棄してやれナショナリズムは必然的に排外主義に繋がるだの、ナショナリズムは悪だの学者でも言う人間が多いので、なるべく客観的に記述していきたいのです。まあ完全な客観はむりだろうけど。

 

 

 

だっこされたい

 もう恋人とかセとかどうでもよいので、可愛い女の子に抱っこされて泣きたい。私は同性愛者であるが、それのせいか女性にしか癒しを期待できない。まあみんな結構保育園とか通いたいと思ってるんじゃなかろうか。幼児になって毎日可愛い保育士さんにあいさつして、お膝の上に乗っけてもらって、寝付けないときは布団の上からさすってもらったり、泣きそうなときはだっこしてもらったり、些細なことで全肯定のよちよちしてもらいたくないんですか?せんせいだいしゅきーとか言っても許されるんだぞ?うああ。

 失礼。発作です。でも結構愛着障害というか子供の頃全的に愛してもらえなかったことを引きずっている人はいると思う。あるいは阿闍梨コンプレックス?

永田カビさんの『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』‪さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ イースト・プレス https://www.amazon.co.jp/dp/4781614426/ref=cm_sw_r_tw_awdo_x_FNUNyb12R1FMR

にもあるがひたすら母という概念に抱かれたすぎてこじれてる感じ。思えば母に抱きしめられたことなんてそうそうない気がするし、父も素っ気なかった。保育所の先生はあんまり覚えてないけど、代わりがいるんだなと思ったらそこまで思い入れできなかった。レズ風俗行って、だっこよちよちひざまくら添い寝子守唄してもらおうかな。そうしようそれがいい。

 しかし、全的に愛されなければ愛着障害みたいなことになるのであれば、人生が運ゲーということになる。それは、人生を自由に選択できてると思い込ませたい人にとってはだいぶ都合が悪い。メンヘラは家庭環境がヤバいというのは通説ですが、彼ら彼女らもあるいは愛着障害のせいでそうなっているのかもしれない。だったらまずその人らを赤ちゃんがえりさせて育て直してもらう場所とかあればいいのになと思うけど、それは形態として風俗とかになってしまうのかなぁと。風俗でも別にいいけど。

シェアハウスと離婚

 現在シェアハウスを追い出され中の哲学徒です。まあ現在いるシェアメイト(当たり前だがそういう関係ではない)と性格の不一致というものが起こり穏便に追い出されています。こうなった原因は特に追求しないでおこうと思います。

 まあ言いたいことは「シェアハウス追放と離婚って似てるなー」ということです。違うのは、周りに無償でそれを手伝ってくれる友人が作りやすいか作りやすくないかです。つまり問題になっている二人以外に対等な立場の同居人がいるか否かです。

 私の場合他の同居人が間に立って色々してくれたお陰で穏当に金銭関係をはっきりできたり、次の場所のあてを探したりできてますが、これが二人で住んでた場合かなり難しくなるでしょう。夫婦の場合、間に弁護士を挟むこともできますが、費用の関係で「示談」というかあまり冷静に話し合えないまま、大抵女性に不利な条件で別れるわけです。これはよくない。夫婦共通の友人を間に挟むこともできますが、その友人が同居だったらお互いの関係とか事情に詳しいけど、現在は友人と夫婦は別居している場合がほとんどですし。

 結論からすれば、夫婦+立場が対等な人間で住めば少なくとも別れる時は楽ということです。まあ夫婦の寝室問題が結構厳しいけど。子供について、というか子育てについては別のエントリで話します。

 

 

このブログについて

とうとうブログまで始めてしまいました。やはり140字では短かった。今現在したいことは生活困窮者支援、ベーシックインカム、シェアハウス、ナショナリズム学会を立ち上げること、ベネディクト・アンダーソンの研究をやることなど多岐に渡りますが、一旦整理してもいいかなと思い。まあ主に今やっている活動やら、雑記に近いものやら、読んだ本の書評やら、福祉関連の情報提供やら、生活相談やら何でもやります。

今現在は、京都で女性専用の猫を飼うインテリシェアハウスを作ろうと奮闘中です。4月までにできればいいなと思いますが、メンバーが足りないので目下住民募集中です。猫好き、勉強好き、勉強会読書会開くの好き、パーティガンガンしたい、寂しがりやだけど友人を作るコストは払いたくない人などを募集してます。個室つき、月4万以下です。ここのコメントやらツイッターから連絡してください。まあ今日はこんなところです。お疲れ様でした。