想像の幻想論

様々な思考の束

だっこされたい

 もう恋人とかセとかどうでもよいので、可愛い女の子に抱っこされて泣きたい。私は同性愛者であるが、それのせいか女性にしか癒しを期待できない。まあみんな結構保育園とか通いたいと思ってるんじゃなかろうか。幼児になって毎日可愛い保育士さんにあいさつして、お膝の上に乗っけてもらって、寝付けないときは布団の上からさすってもらったり、泣きそうなときはだっこしてもらったり、些細なことで全肯定のよちよちしてもらいたくないんですか?せんせいだいしゅきーとか言っても許されるんだぞ?うああ。

 失礼。発作です。でも結構愛着障害というか子供の頃全的に愛してもらえなかったことを引きずっている人はいると思う。あるいは阿闍梨コンプレックス?

永田カビさんの『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』‪さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ イースト・プレス https://www.amazon.co.jp/dp/4781614426/ref=cm_sw_r_tw_awdo_x_FNUNyb12R1FMR

にもあるがひたすら母という概念に抱かれたすぎてこじれてる感じ。思えば母に抱きしめられたことなんてそうそうない気がするし、父も素っ気なかった。保育所の先生はあんまり覚えてないけど、代わりがいるんだなと思ったらそこまで思い入れできなかった。レズ風俗行って、だっこよちよちひざまくら添い寝子守唄してもらおうかな。そうしようそれがいい。

 しかし、全的に愛されなければ愛着障害みたいなことになるのであれば、人生が運ゲーということになる。それは、人生を自由に選択できてると思い込ませたい人にとってはだいぶ都合が悪い。メンヘラは家庭環境がヤバいというのは通説ですが、彼ら彼女らもあるいは愛着障害のせいでそうなっているのかもしれない。だったらまずその人らを赤ちゃんがえりさせて育て直してもらう場所とかあればいいのになと思うけど、それは形態として風俗とかになってしまうのかなぁと。風俗でも別にいいけど。